幕末にアメリカに向かった咸臨丸の搭載荷物に「美濃和紙3束」と記録があると、勝海舟子孫の髙山みな子さんに教えていただきました。2022年8月の幕末史研究会での講演のため、記録を再読中に目を留め、私が岐阜県美濃市御手洗にルーツを持つ事を思い出してくださったようです。
1帖48枚、1束が10帖なので480枚、咸臨丸には3束載せたので1440枚との情報と共に。
写真の板取川は生産地と伝わる美濃和紙の里(御手洗地区)。そこで漉かれた和紙は、いま「うだつの上がる町並み」で観光地になっている美濃市の問屋街に集められ、灯台のある川湊(かわみなと)から名古屋ヘ舟で運ばれました。
うだつとは装飾を兼ねた防火壁のことで、高価なそれを作れるのは成功者の証だったことから、逆の「うだつが上がらない」の言葉が生まれました。
美濃和紙が岐阜の山中から長良川を経て江戸へ。そして咸臨丸と共にアメリカに上陸したとは、なんと感慨深いおはなしです。(幅雅臣)